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院長ひとりごと 月曜版

10/6
シリーズ がん闘病記 7

ガン闘病日記 その7

3月14(土) 試験外泊で、夕方から帰宅。その前に学生時代からの親友二人が見舞いに来てくれる。久しぶりに会ったが、二人とも元気そうでした。 その夜は自宅で過ごす。

3月15日(日) 昼食時に胸部閉塞感出現する。咀嚼が不十分だと、継ぎ足した食道替わりの小腸が狭窄症状を起こすようだ。冷や汗が出るぐらい苦しい。しばらくして、流れていって、軽快。今後は、十分に気を付けよう。家内の実家に寄って、その後病院へ戻る。医局の後輩医師3名が見舞いに来てくれる。ありがたいことだ。

3月17日(火)術後3週間目。

家内のあとに薬局長ご夫妻が来院。栄養ドリンクを差し入れてくださる。

3月19日(木) 入院中に診療所を引き受けて下さった先輩ご夫妻が足を運んでくださる。感謝以外に言葉もない。

3月20日(金) 家内来てくれる。 家内と入れ違いに、父が来てくれる。遠いところを申し訳ない。 医局の秘書の両名、お見舞いに来てくださる。色々お手数をお掛けしました。

3月21日(土) 彼岸の中日。午前中に散髪にいく。 午後、友人医師3名訪ねてくれる。

3月23日(月)

退院。長い間お世話になりました。

奇しくもこの日は娘の小学校の卒業式。

                             了

 

 

9/29
シリーズ がん闘病記 6

ガン闘病日記 その6

2月24日(火曜日) 入院13日目 手術当日

 起床後より、浣腸のあと、血管確保からの採血、輸液開始。その後レントゲンと忙しい。

 AM9:00 プレメディケーション(副交感神経抑制剤筋注)

 AM9:30 手術室へ搬入 ストレッチャーに乗せられ、手術室へ。

 手術室の待合室の廊下を通り抜けるときに、家内と家内の母親が声をかけてくれる。       「今やまな板の上の鯉」声援に応えて大きく手を振って答える。

 麻酔医の担当医が、「イソゾールの注入を始めます。数を1から数えてくださ~い」

 いくつまで数えたのか?

 次に目覚めたのは、ICUへ運ばれる途中のストレッチャーの上。

 主治医と外科部長先生の『終わりましたよー』の声で目を覚ました。

 点滴台に、血液のバッグがぶら下がっているのが目に付いたので、MAP(濃厚赤血球液)も使用したのかを訊ねたところ、使用した血液は事前採取の自己血のみとのことであった。

虫垂の炎症も強かったらしく、中にはかなりの膿汁が貯留していたらしい。しょっちゅう痛かったんじゃないですか?我慢していたんですね,とか主治医がねぎらいのことばをかけてくださる。そういえばずいぶん前から右下腹部は痛みがあったなあと改めて思い出す。

最終的な術式は、胃は全摘出、再建は、Roux-Y-ρ。で一応予定通り。

ICUへ運ばれ、ペンタジンとアタラックスPの注入で、ほとんどもうろう状態。かなりの頻脈(120-130/min.)になっていると言うことで、念の為にフランドルテープ(冠血管拡張剤)を貼り付けて貰う。 やたらに左の肩が痛い。

 

2月25日(水曜日)術後1日目

創痛が尋常ではない。体動一つ不能。昔の侍が切腹したときの痛みを想像する。持続硬膜外麻酔とペンタジンとアタラックスP静脈注入を定期でして下さる。経鼻胃管がきつい。

そこへ、看護師さんがやってきて、「ハイ、歩行訓練しますよ」『えー、もうですか?』

看護師さんに支えられて、やっとの思いで歩く。 左肩痛持続。

 

2月26日(木曜日)術後2日目

尿道カテーテルの抜去。左前頭部痛と膿性鼻汁が出現、経鼻胃管の影響からか、急性副鼻腔炎を起こした模様。部長に相談して、経鼻胃管を抜いていただく、急に楽になる。自分が大学時代に、術後の患者さんがたに、平気で入れていた経鼻胃管がこんなにも苦しい物だとは夢にも思わなかった。ほんとに申し訳ございません。

左肩痛は持続。

 

2月27日(金曜日)術後3日目

動脈ラインを抜去。徒歩でトイレ歩行。自力でなんとかベッドで起き上がれるようになる。昨日からの急激な回復ぶりに家内もホットした様子。父が見舞いに来てくれる。

 

2月28日(土曜日)術後4日目

創痛も徐々に軽減。ガスも頻繁に出るようになる。「屁をひっておかしくもなし 独り者」なんて句を思い出す。左肩の痛みは続いている。

午後から家内が子どもたちを連れて見舞いに来てくれる。元気が出る。

解熱鎮痛剤のテープ(バンテリンテープ)で少し肩の痛みが和らぐような。

兄夫妻が見舞いに来てくれる。

 

3月1日(日曜日)術後5日目

家族が順次見舞いに来てくれる。午前中に家内の両親、午後から家内とこどもたち。

回復が順調なのを見てそれぞれに安心してくれた様子。

 

3月2日(月曜日)術後6日目

硬膜外カテーテル抜去。

左肩に局所麻酔薬の注射を打って貰う。たぶんカルボカイン。やや軽快。

家内来てくれる。明日は子どもたちの遠足とのこと。

診療所の門前薬局長が見舞いに来てくださる。何から何までお世話になっている。

夕方、院長先生、外科部長が面会に来てくださる。「極めて順調ですよ」と説明され、

本当に感謝の気持ちでいっぱいになる。

 

3月3日(火曜日)術後7日目

朝、胃透視(と言っても胃はないのだが)を実施して、術後債権部位からの漏れが無いとの事で、飲水可となる。

腹部の間抜糸。家内来てくれる。

左肩に、外科副部長が鍼を打ってくださる。かなり良くなる。

4時過ぎに、ICUから元の410号室へ移動。

夕方、家内の両親が見舞いに来てくれる。その後に父に電話を入れる。

 

3月4日(水曜日)術後8日目 入院3週間目

本日より経口摂取開始。 全抜糸終了。

家内が、診療所の職員からのお見舞いの品を持ってきてくれる。皆には迷惑をかけているのにも関わらず、ありがたいことです。

 

9/22
シリーズ がん闘病記 5

ガン闘病日記 その5     

1998年年2月21日(土曜日)入院10日目

朝から雨模様。しばらくするうちに止む。今日は検査も無いので、ブルタールの注射が終わったら、散髪に行きたいと外出願いを出したところ、すんなり許可が出た。10時より外出する。看護師さんに教えて貰った、近くの理容店までうろうろと歩いて到着。大きな店舗で、椅子が8台並んでいて、一番奥があいていたので、すぐに取りかかってもらった。

10時半過ぎには終わったので、暫く近くの量販店の中を物色。文具売り場で、筆と硯を購入し、写経用の箋も購う。教授宛のお礼のハガキを投函し、11時には帰院する。

「ずいぶん早かったですね」と言われて、せっかくだからもう少し散策してくればよかったかなとやや残念がっていたら、11時半に院長回診があり、結局はちょうど良かったのだ。

長野五輪も残すところ2日となり、明日が閉会式とのこと。私の胃袋の命運もあと3日となりにけり。夕方、家内と娘が面会に来てくれる。無邪気な娘の様子が心癒やしてくれる。

2/22(日)

午前中に家内が面会に、また午後から家内の両親に連れられて息子が来てくれる。その後に3人で、外出、近くの遊園地で暫く過ごす。

2/23(月)入院12日目 手術の前日

ようやくここまで来たかという心境。手術後についての説明を受ける。術後1-2日はICUでその後は、しばし、大部屋に入るとのことで、それ以後に、この部屋へ戻ってこられるかは分からないとのことであった。ブルタール注射。抗生剤の皮内テスト。その後、部屋の持ち物を片付ける。暫くは本も読めないだろうから、だるまの心境になるほかない。と腹をくくる。

下腹部の剃毛、術後に必要な物品の点検。

主治医が来室され、詳しい術式について最終的な説明があった。3通りの術式について各々のメリット、デメリットについてお話しくださる。いずれにしても、最終的には、術中の所見と、切除端の凍結切片の状態次第で決まるとのこと。要点は、① radicality(根治性)  ② safetibility (安全性)③ function of post op.(術後の消化管の機能)を担保すること。夕方、副院長からの説明があり、家内と二人で、拝聴する。

明日はいよいよ本番。

9/15
シリーズ がん闘病記 4

ガン闘病日記 その4

1998.2.18(水)

胃を全部摘出するとなれば,術後に、ビタミンB12、カルシウム、鉄の補充を継続的に行う必要があると説明を受ける。B12は、半年以後、月に1度程度の筋肉注射が必要である。

自己血採取のために承諾書にサインする。風邪を早く治すように言われる。

術式の最終決定は、明日17日の胃透視と明後日の内視鏡下超音波検査の結果次第で行う旨を説明される。自己血の採取は明日の予定となる。

ブルタール(鉄剤)の静脈投与を今後暫く毎日行うことを説明される。

2/19(木)

朝食抜きで胃透視検査。AM10:30 胃透視開始。酸素製剤を通常の倍量服用し、体幹の回転動作の後、経鼻胃管を挿入。バリウムと空気を注入しつつ、言われるままに体の回転を行いつつ撮影は進む。検査は、後になるほどきついと言われていたが、その通りで、かなりきつかった。終了は11時半、ちょうど1時間がかりであった。

2/20(金)

本日はEUS内視鏡内視鏡検査)の予定だったはずだが、朝食が届く。絶食のはずだと看護師に説明するも今日は検査は予定されていないとの事で、そんなはずはないといったものの、予定が無いとの事で、食べてしまう。後でもう一度確認したら、やはり検査が組まれていたとのことで、胃の蠕動を促すための薬剤を点滴しつつ検査は進んだ。今回は、咽頭炎が治っていたので、内視鏡挿入はすこぶる楽であった。静脈注射して貰った安定剤がよく効いてくれて午後は暫くベッドで寝ていた。

夕方、教授がわざわざお見舞いに来てくださる。驚くやら恐縮するやら・・・。先生の恩師もまた、同病で手術を受けたことがあるというエピソードなどお話しいただいて、勇気が沸いてくる。誠にありがたいことである。

9/8
シリーズ がん闘病記 3

 

2/15(日)

入院後から不思議に好天が続いている。小春日和の暖かさ。これで、流行中のインフルエンザがおちつくだろうか?診療所を診て下さっている先輩から殺人的に忙しいとの連絡があった。長野オリンピックで、ラージヒル個人戦で船木が金、原田が銅メダル。スピードスケート1000Mでは、清水が銅メダル。午後より家族が面会に来てくれる。2匹の犬のうち、若い方を父に暫く預かって貰うことになる。

2/16(月) 入院5日目。

午前中に外科部長の面会を受ける。胆石と慢性虫垂炎もあることを告げられ、これらの摘出も同時に行うとのこと。一粒で三度美味しいとはグリコ以上だ。2/23に手術の詳細について説明してくれるとのこと。術後のために呼吸訓練を開始する。吸って。吐いて。

2/17(火)

朝絶食で、胃カメラ施行される。起床後から鼻の調子が悪く、どうも風邪をひいたらしい。咽頭炎があったせいか、胃カメラの前に噴霧されたキシロカイン表面麻酔があまり効いておらず、反射が強く起こり、きつい検査となった。セルシンの静脈投与を受けるべきだったと後悔。検査結果は、深達度は深くないとの事であった。

家内が夕方面会に来てくれる。保健所への連絡や手続きなどいろいろ苦労をかける。

鼻内からMRSAが検出されたため、バクトロバン軟膏の塗布を開始。

ジャンプラージヒル団体で、日本が悲願の金メダルを獲得。何かしら勇気が沸いてくる。

2/18(水)入院7日目。

今日がいったい何月何日なのか分からないような状態。籠の中の鳥状態がまだ暫く続くことを思うと暗澹たる気分になる。

主治医の先生から、CT上でリンパ節転移のないことを告げられる。自己血輸血の為の貯血を400ml準備する旨の説明を受ける。足りない場合には、MAP(濃厚赤血球液)を使用する可能性もあること、更に、詳細な術式について説明あり。

RouxYρかトランスポジション法かどちらかになるということである。いずれにしても術後三ヶ月までは体重が減少し、半年ぐらいから次第に戻ってくるとの説明であった。

残った胃の癌の再発率は10%程度だと言うことであった。いっそ全摘にして下さいとお願いする。

 

9/1
シリーズ がん闘病記 2

1998年2月12日 

建国記念日の翌日に入院しました。個室でしたので、気が楽でした。院長先生、外科部長先生が病室にお越し下さり、病状や今後の段取りについて説明して下さいました。手術の日程は2月24日予定で、それまで、全身検索ならびに術式確定のための検査を行うとのことでした。その日のうちに、循環器内科受診、胸部レントゲン撮影、心電図検査(ホルター心電計も装着)、心臓超音波検査、造影剤アレルギー検査などを受けました。いずれの検査も異常ありませんでした。その後に、現在でもなお世話になっている、主治医の先生がご挨拶にお見えになり、色々と説明して下さいました。夕方には父が面会に来てくれました。

2月13日 

この日から、診療所の方は、先輩医師が代診して下さることになりました。本当にありがたいことで、感謝にたえません。一方、職員には、今後の状況が詳しくわからないこともあり、国内研修で、暫く留守にするという風に説明してあったために,心苦しい思いの中、腹部エコー、腹部CT、出血時間凝固時間の測定を受けました。

折しも始まった長野冬季オリンピックを横目で観戦しつつの入院生活となりました。

2月14日

話を聞きつけた友人たちが次々に面会に来てくれました。この日は注腸検査。

その後に内科主治医の先生が説明に見えました。

未分化癌(癌の悪性度が高い)の場合、播種性(あちこちに種をまくように拡散しているということ)に広がっている可能性があり、そうなれば胃全摘出の方が望ましいという話。今後の胃カメラ、胃透視の予定を通達される。

せっかちな私は、なるべく早く退院できるようにとの考えから「部分切除にするのか全摘にするのかを決めるために検査が長引くのであれば、さっさと全摘にして下さい」と勝手な申し出などして先生方を困らせて、今思えば、本当に穴があったら入りたい気分ですね。

夕方になって、先輩医師が面会に来てくださる。本当に恐縮です。

また、家内が子どもたちにも事情を説明してくれて、面会に来てくれました。しばしの団らん。 

8/25
シリーズ がん闘病記 1

私がせんだい耳鼻咽喉科を開業したのは、1994年(平成6年)12月3日です。

診療が軌道に乗りかけていた1998年1月に人間ドックで胃がんが見つかりました。

組織学的にはスキルス癌といって、最も悪性度の高いものと診断されました。

医者の不養生といいましょうか?それまでの私は、ただひたすらガムシャラに働き、好きなものを食べ、のみたいときには呑み、運動不足で、とても患者さんを指導できるような生活スタイルではなかった様に思います。

人間ドックも、なかなか健康診断を受けない私に、業を煮やした家内が申し込んでおいてくれていたものでした。それすらもドックの当日、奇しくも私の40歳の誕生日でしたが、ごねて行かないと言いだし、家内から尻をひっぱたかれて嫌々受けたものでした。 

ドックの後、しばらくして、病院から診療時間中に電話がかかって来ました。大先輩の先生から「話を聞きに来るように」とのことでした。その後のことは頭が混乱してよく覚えていませんが、気づいたら先生の前に立っておりまして、「胃がんが見つかったからすぐ手術しましょう」ということでした。

それこそ、頭が真っ白になりました。開業して4年目に入ったばかりで、診療所にお越しいただいている患者さんをどうしたらよいのか見当もつきませんでした。

家内と相談して、一番頼りにしている先輩医師にお願いするしかないと考えて、その日のうちに電話で約束を取り付け、今後の診療をお願いしました。

今にして思えば、奇跡のような縁でした。なんと二つ返事で引き受けて下さったのです。

家内が奔走して、いろいろな段取りを整えてくれました。

2月12日に鹿児島市内の病院に入院しました。それから1週間、様々な検査を受け、

やはり胃全摘出術およびRuox Y法による再建手術を全身麻酔下に受けることとなりました。

当時は、内視鏡下の手術方法が始まったばかりの頃で、まだ一般的な術式にはなっておらず、開腹術が選択されました。

                  毎週月曜日にシリーズで独りごちたいと思います

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鹿児島県薩摩川内市高城町1945番地1

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